勤務医の声 (中田 晃孝 医師)
1964年 埼玉生まれ
■資格
医学博士 / 日本内科学会認定医 / 日本循環器学会認定専門医
■紹介
1989年東京慈恵会医科大学卒業後、同大附属病院に入局。菊名記念病院循環器科を経て、2000年より三愛病院に勤務。循環器内科部長、2007年より同院副院長。毎年役300例のPCIと血管内治療約60例/年を行なっている。
■メッセージ
これまで年間250〜300例のインターベンションを行なってきましたが、アーカンソーハートホスピタルとの提携により、より多くの患者様の救命に取り組む事ができると考えております。地域に根付いた医療の提供を目標に、虚血性心疾患をはじめ、末梢血管治療や循環器疾患の早期発見・早期治療にチーム一丸となって取り組んでいきたいと思いますので、宜しくお願いします。
勤務医の声 (濱田 英明 医師)
1971年 大阪府生まれ/専門分野:循環器内科】 【資格】 日本内科学会認定医/日本循環器学会専門医/日本心血管カテーテル治療学会認定医
特に虚血性心疾患・末梢血管疾患に対するカテーテル検査・治療、循環器救急医療、循環器集中治療、5,000例以上の心臓カテーテル検査と2,000例以上の経皮的冠動脈形成術の経験を有しております。30歳代の循環器インターベンション医としては数多くの経験を積んでいる1人です。AHHに渡米し、 100例以上の冠動脈および末梢動脈のインターベンションを経験してきました。2007年から、恵寿パートナーズ心臓血管センターにて勤務。2009年10月より北斗パートナーズ心臓血管センター(HoPCVC)、2011年2月より三愛パートナーズ心臓血管センター(SaPCVC)勤務と、様々な提携先病院にて心臓血管センター立上げと成功の為に活躍している。
以前の職場環境について教えて下さい。
関西の脳外科専門の病院で働いていました。その病院で循環器部門を立ち上げる事になり、私の先輩がすでに勤務していたので、私もお手伝いするといった形で参加しました。最終的にはInterventionist 3名、エコー専門医師が1名、心臓外科 2名で小さいユニットでありながらも、救急から最終治療までほとんど全ての事がこなせる環境でした。
その当時のモチベーション、やりがい、将来に対する構想など教えて下さい。
当時勤務していた病院の循環器の中で私はNo.2の立場でした。Dr.が少なかったのでいろいろな事を全て自らしないといけない環境でしたが、より多くの患者さんを診て、より多くの治療経験を積む事ができ、やりがいを感じていました。Dr.が増えるにつれ、私はもっともっと部門を大きくしていきたかったのですが、その病院は脳外科がメインであった事から、私達がどんなに頑張っても循環器はサポートにしか過ぎませんでした。そのため転職を決める前には漠然とした閉塞感を感じていました。
ハートホスピタルパートナーズオブジャパン(以下、HHPJ)との出会いについて教えてください。
実は、かなり以前に私の先輩からHHPJの話は聞いていました。その後、たまたまアメリカの学会に参加した際、直接HHPJのエルナン氏と話をする機会がありました。その時は僕には関係のないものとあまり気にとめていなかったのですが、しばらく時間が経過しプロジェクトを開始するにあたり、某メーカーの方からHHPJのプロジェクトの話を聞き、HHPJ側よりオファーを頂くことになりました。この時、何らかの縁のようなものを感じました。
最初にお話を聞いた時の率直な思いを教えて下さい。
当時の私はもっと広い視野でスキルを身につけたいという思いが強く、勤務先での閉塞感も感じていたので、とても魅力を感じました。しかし、当時、私は大阪で勤務しており、北陸地方の人口が少ない地域でカテをするのには、かなり制限があるのではないかという不安も正直ありました。むしろ無理ではないかと感じていました。
HHPJと一緒に働くことを本気で考えたポイントを教えて下さい。
アメリカの現場を見学に行き、カテのスタイルも似たところも多く、これなら今までの経験を十分に活かし更にスキルアップが出来るのではというふうに感じました。一番の決め手はブルース・マーフィー先生の人間性・仕事ぶりにすごく惹かれたことです。ブルース・マーフィー先生はあれだけ有名でありながらも、病院内で一番働いておられ多くの患者さんを診察し治療をされていました。見学させて頂いて一番忙しいのはブルース・マーフィー先生であるという事も分かりました。マーフィー先生のように働いていきたいと強く思いました。
実際転職をするときの障害を教えて下さい。
家族の反対は特になく、妻の職業が看護師という事もあり、理解はしてくれたと思います。しかし、私と HHPJとの理想がマッチングし、その思いは共感できましたが、以前勤務していたのが大阪でしたので、ここの地域性が自分にとってなじめるか?という障害が一番大きかったと思います。また行っていく事は組織(循環器科)の立ち上げであり、自分がそのような仕事ができるのか、あまり自信を持てませんでした。もうひとつ、これは障害とは異なると思いますが、私自身、心臓の治療はやってきたのですが、下肢末梢の治療はそれほどやっていませんでした。そのため末梢の難症例に自分で対応できるかどうかという不安もありました。
転職時に、大学や勤務中の職場で反対はありましたか?
もちろん反対されました。前職場では少数のDr.で賄っていましたので、その一人が抜ける事も大きな事でしたし、実際症例数を一番こなしていた僕自身が抜ける事で実際の業務の運営や、教育面で成り立たないからぜひ残留してほしいと懇願されました。もし異動してもあと1年はなんとかいてほしいとも言っていただきました。
転職を決断した時の心境を教えて下さい。
私は大阪市内の病院に勤務していましたので、石川県七尾市という北陸の人口の少ない地域で症例数などが上がるか、また、本当に自分でやっていけるのかという不安はありました。
勤務して困難や苦労した点を教えて下さい。
地域性がまったく違うので、最初は慣れるまで大変でした。よりたくさんの患者さんに病院に来ていただくために今までしてきていない様々な活動をしていく事になったので、勉強になる反面、苦労もたくさんしました。
逆によかった点を教えて下さい。
尊敬の出来る医師との人脈が広がりました。HHPJと関わり、普通では知り合えない医師達と出会えて充実しています。また、症例数を評価してくれる給与体系であり、インセンティブという形で評価してもらえている事は良い事だと思います。
現在のモチベーション、やりがい、将来に対する構想など教えてください。
もっともっと症例数をこなし、経験していきたいと思っています。また、いろんな先生と共に、フラットな組織の中で競争できることは良い事なので、その環境の中でやっていきたいです。今後は、ブルース・マーフィー先生がそうであるように、10年後も今のまま働き続けられる事は良い事だと思います。
全国の循環器内科医へのメッセージをお願いします。
ブルース・マーフィー先生と会って、その人柄に触れてみる事がいいと思います。 その後、条件などで判断してはいかがでしょうか。まずは直接会い、お話を聞いて頂くのが正確な判断材料になると思います。
勤務医の声 (野田 亮輔 医師)
【1972年 北海道生まれ/専門分野:循環器内科学全般】
特に心血管疾患のカテーテル検査・治療、循環器救急医療、心臓核医学、心エコー(経胸壁、経食道)などの心臓機能検査による循環器疾患の診断。現在、北陸で最も症例数が多い30歳代の心臓血管カテーテル治療医の一人です。当センターに赴任時に渡米し、アーカンソーハートホスピタルでブルース・マーフィー医師の指導のもと50例以上の冠動脈および末梢動脈のインターベンションを経験してきました。
以前の職場環境について教えて下さい。
私の出身は北海道で、大学医局より、地元の公的病院へ医局派遣にて勤務していました。 その勤務先の病院は、循環器医は6人くらいで、症例数を積んでスキルを磨いていくという環境ではありませんでした。
ハートホスピタルパートナーズオブジャパン(以下、HHPJ)との出会いについて教えてください。
まず2006年のPCIフェローコース(100人弱)の中で、現在恵寿総合病院で一緒に働く濱田先生と宿泊の組み合わせで同室になったのが縁だったと思います。その後、前KPCVCセンター長の仕事仲間からもHHPJの紹介がありましてお話を聞く事になりました。魅力を感じた点としては、1人当たりの経験症例が非常に多い事や、冠動脈疾患以外の動脈硬化疾患のインターベンション治療も可能であり、またブルース・マーフィー先生の存在など沢山ありましたが、一番はフラットな環境という点です。
実際転職をするときの障害を教えて下さい。
特に、家族の反対もありませんでした。しかし前職場から移る際には、私はとにかくたくさんの症例を重ねたいという強い思いがあったのですが、医局の関連施設ではない事から異動には苦労があった事は事実です。
転職を決断した時の心境を教えて下さい。
循環器内科専門でやっていく中で、今までの環境とは違う新しい選択であり、自分にとってはベターではないかと思いました。
研修中の心境、またエピソードを教えて下さい。
ブルース・マーフィー先生の存在が大きく様々な影響を受けました。特に医師としてのプロ意識が明確で私のモチベーションはかなり高まったのを覚えています。
勤務して困難や苦労した点を教えて下さい。
考え方も、スキル面もこれまでとの違いはあり最初はなかなか思うようにいきませんでしたが、症例をこなすうちに身に付いていきました。また、様々な優秀な医師との交流が出来るのでモチベーションは維持できました。
現在のモチベーション、やりがい、将来に対する構想など教えてください。
循環器医として循環器疾患を最初から最後までケアしていける医師になりたいと考えています。
全国の循環器内科医へのメッセージをお願いします。
医師がやりたい事をやるのは最終的に患者さんの為になる事だと思います。やりたい事が見つかったらどうすれば良いかを考え、開業にしても研究にしても諦めずに考える価値はあると思います。研修医制度が変わって、若いドクターが自分自身のキャリアを考える素地は出来ていると思います。医師の場合医局制度など個人的にクリアにすべき問題はあるかもしれませんが、自分自身、やりたい事、キャリアを考えるべきではないでしょうか?
院長より (院長 佐藤 政弥 医師)
■資格
1996年日本外科学会認定医取得
2000年日本胸部外科学会認定医(心臓・大血管)取得、
2002年日本外科学会専門医取得
2004年心臓血管外科学会胸部外科学会血管外科学会合同心臓血管外科専門医取得
■紹介
杏林大学病院心臓血管外科出身。 1997年~98年自治医科大学付属大宮医療センター心臓血管外科にて研修、2年間で開心術36例、腹部大動脈瘤手術 30例以上を経験し、これまで150例以上の開心術を経験した。その1997年から非常勤として三愛病院に勤務し、2005年に常勤として勤務。2010 年に院長に就任。
■メッセージ
循環器疾患を中心に、心臓血管外科疾患、一般外科疾患、さらに「患者さんの全身管理を念頭に置き・・・」という当院の基本方針に沿って、総合診療科として地域住民の方々の健康管理に努めております。とはいえ心臓血管外科医であり、このたびのHHPJとの提携による三愛パートナーズ心臓血管センター(SaPCVC)の取組においては、院長としてはもちろん心臓血管外科医として、積極的に取り組んでいきたいと考えております。














